新生名古屋MUSIC FARMがスタートし、榊原を慕うバンドも増えてライブ本数も順調に増えていたのだが、
当時のMUSIC FARMは異様なまでにトラブルが多かった。
その日は、とあるビジュアル系のライブ中にステージ前方に設置されているエアコンから大量に水が溢れ、
最前列にいたお客さん(ロリータ的貴女)の頭がビショ濡れになる事故があった。
当然水を浴びたお客さんはブチギレ、店長である榊原に怒りをぶつけた。
榊原は必死にお客さんをなだめながら、
「本当にすみません!もうエアコン止めますので!」
と、
「いや、そういう事じゃないだろ」
的な回答を連発していたが、
不器用ながらも誠心誠意謝罪する姿勢を見せそこは何とか事なきを得たのだが、
結局、
・古いエアコン
・梅雨時期
・過剰な人口密度
という3悪が重なったライブハウス特有の
「とてつもない湿気」が原因だった様で、
ついにホール側のエアコンからも水が滴り落ちてきた。
フロアも一部水浸しになり、
フロア袖に置いてあったお客さんの荷物がビショ濡れになったり(当時クロークが無かった)
滴る水を止める為にエアコンを全てストップした事により、
体感で室温50℃、湿度95%の
「ミストサウナとしては最高」と化した名古屋MUSIC FARMは、
ライブをしているビジュアル系バンドマンのメイクが湿気と汗で剥がれ落ち、
またそれを観ている貴女達のメイクも剥がれ落ち、
「お互い絶対にすっぴんを見られたくない者同士のメイクがお互いの目の前で剥がれ落ちていく」
という、まさに地獄絵図となった。
またよりによってビジュアル系イベントの日にこんなトラブルになるとは。
いっその事、今後は
「ビジュアル系バンドとすっぴんで対面できるライブハウス」
という風に開き直って営業していくのも面白いのでは?と一瞬脳裏をかすめたが、そんなの誰も得しない事は考えるまでもなかった。
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図の中でもライブは進行していく。
その日の僕はステージを照らす照明係だったのだが、こんな地獄絵図にもかかわらずステージをキラキラ照らしてる事に何とも言えない後ろめたさを感じ、
「出来るだけ、暗めにやろう」
そう思った。
それはまるで日本で大きな災害や事件があった時に国民が自粛したり、
天皇陛下が崩御した時に喪に服するそんな感覚に似ていたが、
照明を暗めにする事により物理的に汗だくのすっぴん顔をあまり見えないようにしよう。という自分なりの配慮もあった。
当時、僕とPA(音響)と照明でタッグを組んでいた小出という男と、
「照明はいかに空気を読むかだよね」
と普段から話していたのだが、
まさかいきなりこんな空気の読み方を求められるとは思いもしなかった。
その日、僕の横で音響を担当していた小出君の顔をチラッと見ると、
彼は汗だくになりながら、
「この世の終わりを見る様な目」
をしてライブを見つめていた。
そんな地獄の様な日が終わったかと思うと、今度はまた違うトラブルが発生する。
まるでモグラ叩きのごとく、こっちをやっつけたら今度はこっちから出てくるといった様にトラブルが尽きる事はなかった。
その頃のトラブルで多かったのが、
シンプルに「ブレーカーが落ちる」だ。
ライブ中にブレーカーが突然落ち、演奏全体がストップしてしまう事がたまにあった。
原因を探るも誰もよくわからず、
その時とった策はというと、
ブレーカーがある場所(照明卓の横側)に榊原がスタンバイし、
ブレーカーのスイッチが落ちない様に
「常にスイッチを指で押さえておく」
という、これまた超原始的な作戦だった。
「俺、今日も押さえとくでよ」
それが榊原の毎日の決まり文句になっていた。
ライブ会場の照明卓横にあるブレーカーの箱を開け、そこに手を入れてスイッチを押さえながらライブを観るという、
「ブレーカー係」として毎日そこに立っていた榊原だったが、
出演したバンドマン達からは、
「店長さんが最後までずっとライブ観てくれていて嬉しかったです」
と、良い意味で皆勘違いしてくれていて、
榊原の評判は上々だった。
そんなトラブルだらけの名古屋MUSIC FARMだったのだが、それらを上回る程の「とんでもないトラブル」に遭遇する事になる。
のはまた次回のお話。
続く。
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