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名古屋MUSIC FARMというライブハウスと、店長の榊原雄一という男に出会った時の話。Vol.10

 

僕が名古屋MUSIC FARMというライブハウスで働き始めた頃、

「自分もなんかバンドやりたい」と思い、

藤が丘で一人暮らししていた僕の元へ勝手に転がり込んできた同級生の「垣内」という男と2人でバンドをやる事になった。

僕がギターで、垣内がベースボーカルで、じゃあドラムはどうしよう?と話してると、

どういう経緯だったか忘れたが、「りょーちん」という地元の後輩がそこに居たので、彼にドラムを任せて3人でバンドを始めた。

 

バンドを始めるにあたって、

まずは「HPを作ろう!」と思い、

当時のバンドマンが御用達だった「魔法のiランド」という無料のHP作成サイトでHPを作り始めたのだが、

すぐに「そういえばバンド名決めてない問題」に直面し、さてどうしたもんかと僕は頭を悩ませていた。

 

そこへ、はかったようなタイミングでバイトから帰ってきた垣内が、

自信満々に、「バンド名考えたよ」と持ってきた。

その名前が

「UPPER TURNNING GO!!」

という名前だった。

 

僕が「アッパーターニングゴー?」

 

と言うと、

 

垣内は「ターニングじゃなくてチューニングね」

 

と言った。

 

アッパーチューニングゴー

意味はよくわからなかったが、僕はその意味がわからない事を考えてくる垣内のセンスが好きだったので即決した。

なによりバンド名がどうこうよりも

僕は早くHPを作りたくてウズウズしていたのだ。

 

そんなこんなで完成したアッパーチューニングゴーのHPだったが、

なんとすぐにメールボックスにライブのオファーが飛び込んできた。

今になって思えばノルマを獲得したいイベンターが無差別にバンドへ送る営業メールだったのだが、

そんな事など知るよしもない僕達は舞い上がりすぐに引き受け、初ライブが決まった。

 

意外にも初ライブは、今は無き新栄サンセットストリップというライブハウスで、あのアニマルズと対バンだった。

チケットノルマ20枚×2000円。

トップバッターで下手くそながら無我夢中でライブをし、

出番が終わってからもピュアな僕達は全バンドを最前列で盛り上げ、

色んなバンドと知り合う事もできた。

パンダマンというパンダの被り物をしたバンドが出ていたのを覚えている。

それ以来会ってないけど元気なのかな。

 

新栄サンセットストリップでの初ライブが終わったのを知った榊原に、

「いや、うちでやれや」と言われ、

仕方なく名古屋MUSIC FARMでアッパーチューニングゴーの2回目のライブが決まったのだが、

僕はMUSIC FARMスタッフであるにも関わらず、がっつりノルマを取られたのを覚えている。

 

名古屋MUSIC FARMでのライブに向けてスタジオで練習していたのだが、りょーちんのドラムが全く上手くならず、

スパルタ指導を繰り返した結果、2回目のライブが終わったぐらいで脱退した。

介護業界は慢性的なヘルパー不足となっているように、バンド業界は慢性的なドラマー不足なので、

僕達は新しいドラマーを見つけるのにとても億劫な気持ちになっていた。

 

そもそも僕と垣内は友達としてバンドをやっているので、

「知らない人とバンドをやる」という考えは全く頭に無かったし、メンバー募集も考えた事も無かった。

「友達」という縛りの中で思い当たる節といえば、

高校時代に一緒にバンドをやっていたドラマーのケイスケしか出てこなかった。

ただ、ケイスケは三重の地元で働いており、名古屋に来るだけで片道3時間半という時間が必要だったし、

交通費も馬鹿にならないので「あまり現実的ではないな」と思っていたのだが、

熱心に誘っていると「とりあえずやってみる」とケイスケが加入してくれる事になった。

 

こうして、新生アッパーチューニングゴーは活動を始めた。

 

榊原の意向により名古屋MUSIC FARMで月1回のライブが始まったのだが、

3人とも名古屋に知り合いなどいない為チケットノルマも捌けず、

毎月毎月名古屋MUSIC FARMに「お布施」のようにノルマを納めていた。

 

僕が当時の名古屋MUSIC FARMで貰っていた月給が9〜13万円ぐらいだったので、

そこから家賃光熱費と食費等を引くと何も残らない状態だった為、

さすがにノルマがキツいという話を我らが「尊師・榊原」に話すと、

 

我らが尊師は、

 

「いつか実る」

 

と、非常にありがたい教えを僕達に説いて下さった。

 

自身もバンドマンとしてメジャーというフィールドで活動していた尊師・榊原から

・どうすればバンドとして成長していけるのか?

・どうすればお客さんを呼べるのか?

バンド活動を行っていく上で彼の経験から色々なノウハウを知りたかった僕達だったが、

 

いただけた言葉は、

「いつか実る」

という非常にありがたいお言(もうやめときます)

 

しかし割と体育会系だった僕達は、その言葉を

「まだお前達のレベルでは教えるに足らん」という意味合いだと解釈し、なにくそーとひたすら月1回のライブをこなしていた。

 

ただ一度だけ、ノルマを払ったらどうしても生活ができない状態になった事があり、

僕は榊原に1万円貸してもらった事がある。

 

その時の榊原は、

「おお、ええよ」と言った具合にあっさりと1万円を貸してくれたのだが、

これによりお金の流れが全くよくわからない事になった。

 

MUSIC FARMで貰った給料を、

 

MUSIC FARMに落とし、

 

MUSIC FARMの店長からお金を借りて生活する。

 

この少しずつ損をしていくという、悪徳金融も顔負けの負のスパイラルに陥った僕は、

「これは流石にまずい」

と思い立ち、名古屋MUSIC FARMと掛け持ちでできる割りの良いバイトを探す事にした。

1回のライブのチケットノルマが3〜4万円だったので、その分だけでもなんとかしよう。

と探したのだが(その発想がそもそもダメなバンドマンの発想なのだが笑)そんな都合よく働けて稼げそうな仕事はなかなか見つからず、

 

結局、半年ぐらいパチンコとスロットで生活を賄っていく事になる。

 

ある日、そんな半パチプロ生活の中でスロットで大勝ちした僕の情報をどこからか聞きつけた榊原が、

「飲みに行こうやー!中村の奢りでー!」と大はしゃぎし、

「こないだお金借りたし、たまには奢るか」

と渋々、榊原とデザインの石塚さんと後輩と僕の4人で、昭和食堂(居酒屋)に行く事になった。

 

席に着くなり呼び出しボタンを押してやって来た店員に対して榊原は、

 

刺身のメニューの端から端までを指でなぞりながら、

 

「とりあえず刺身全部でー」

と、聞くからに頭の悪いセリフを吐いた。

 

僕はこの先も

「とりあえず刺身全部でー」

などというセリフを聞く事などもう無いのではないだろうか。

 

刺身のメニューを全部注文する事の何が「とりあえず」なのかもわからない。

 

「はい?お刺身のメニュー全部ですか?」

困惑している店員さんに、うんうんと首を縦に振る榊原。

そうだった。

この男の辞書に「遠慮」などという言葉は無いのだった。

 

思えばブッキングにしても、何をやるにしても土足でガツガツ突っ込んでって掴み取るのが彼のスタイルなので、

奢ると言ってしまった僕が完全に悪い。

 

こうして昭和食堂で男4人で

4万7千円という異常な額の請求を支払った僕の心と財布はもはや、

昭和食堂の壁に貼ってある誰かもわからない黄昏てるポスターの男より黄昏ていた。

 

 

 

そして、ねずみ小僧はまだ出てこないのだった。

 

 

続く。

 

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  • この記事を書いた人

ナカム画伯

1984年12月24日生まれ三重県紀北町出身。愛知県在中。 YouTube「きぼたんTV」のきぼたんの父ちゃん。 ロックバンド「Mr.MORNING GO」のギタリストであり 「MORNING GLORY」のドラマー。 好きなもの「高校野球、音楽、映像編集、麻雀、競馬、釣り、介護」

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