なんだかいきなりおぞましいタイトルになってしまったが、
僕が生まれて初めて人間の死体を見た時の事を書きたいと思う。
それは小学1年生(もしくは2年)の頃だったと思う。
家族で一家団欒の夕食を済まして、お気に入りのアニメが始まる時間まではしゃいで遊んでいた頃に
けたたましく家の固定電話が鳴った。
母が電話に出て、神妙な面持ちで電話相手と話していたのを覚えている。
そして電話を終えた母が僕達兄弟に言った。
「ひいお爺ちゃんが亡くなったから、今から会いに行くよ」
僕は子供ながらに「人はいつか亡くなるものだ」という事は理解していたが、実際に亡くなった人を見たことも無く、
理解していたというよりは、「ドラゴンボールで悪者にやられて人がバタバタ殺されていく」というような、「所詮、自分の周りには起こり得ないであろう架空の話」的な感覚だった。
子供なんて、身をもって経験するまでは何事もそんなもんだ。
家族皆んなで車に乗り込み、40分離れたひいお爺ちゃんの家に向かった。
街の外に出る長いトンネルをくぐり、峠道を上ったり下ったりした先に小さな漁師町が有り、
そこに僕のお婆ちゃん(母方の)と、その家のすぐ裏にひいお爺ちゃんとひいお婆ちゃんが住んでいた。
僕は道中、気が気ではなかった。
「人の死」というものを考えると、怖くて仕方がなかったのだ。
死んで動かなくなった人に会いに行く。それ自体、とても恐ろしい事のように思えた。
ひいお爺ちゃんの家に着くとすぐお婆ちゃんが出迎えてくれた。
いつもニコニコしているお婆ちゃんが、この時はとても悲しそうな顔をしていた。
この時すでに僕の心臓はバクバクで破裂しそうになっていた。
「この家の中でひいお爺ちゃんが死んでいるんだ」
もう怖すぎて怖すぎて、でも怖がっている自分の姿を客観視すると余計怖くなるので、なるべく表には出さず、毅然とした態度をとって家の中に入った。
薄暗い廊下を歩くとギシギシと音がする。それも相まって余計恐怖心が増してくる。
奥の部屋に入ると、そこには六畳一間のど真ん中に一枚布団が敷いて有り、その上にひいお爺ちゃんが横になっていた。
その横には、ひいお婆ちゃんが座っておりうつむいて涙を流していた。
家族皆んなでひいお爺ちゃんの周りを囲む。
僕はお母さんの影に隠れながらチラッとひいお爺ちゃんの顔を覗き込んだ。
ひいお爺ちゃんは白い顔をして目を閉じ呼吸をしておらず、手と手を胸の上で組んで横たわっていた。
「死んでる」
僕は心の中でそう呟いた。
正直、早く帰りたかった。
死んでいるひいお爺ちゃんもだが、それを囲む人が悲しんでいる姿を見るのもとても辛くて怖くて、一刻も早くこの場を立ち去りたいと思った。
帰りの車の中で僕は感傷に浸っていた。
小学1年生が感傷に浸るってどんな状況だよ。と思われるかも知れないが、
海岸沿いを走る車窓からキラキラ光る小さな漁師町の光をぼんやり見つめながら、
僕はなんとも言えない感情になっていた。
この日から僕は「人の死」というものに敏感になり、おふざけで「死ね」「殺す」などと高校生になってからも周りの友人達は使っていたが、僕は一切使わなかった。
いや、一度だけ思春期の頃に母親に向かって言ってしまった事があった。でもその時は、言って間を開ける事なく「ごめん」と言ったのでカウントゼロだと思いたい。
布団に入って目を瞑っては、
「いつか父と母も死ぬんだ」
そう考えては気分が悪くなり、トイレで吐くこともしばしばあった。
父と母は心配していたが、僕は気分が悪くなる理由は一切話さなかった。
ひい爺ちゃんの死の翌日、
「お通夜があるからもう一度ひいお爺ちゃんの家に行くよ。」
そう母に言われ、
「またあそこに行くのか・・・」
と思ったが、問答無用で再度向かった。
到着すると、家の中から昨日とはうって変わって何やら騒がしい声が沢山聞こえてきた。
部屋に入ると、ひいお爺ちゃんが死んで横たわっている部屋のふすま一つ隣の部屋で、
長テーブルを囲って喪服を来たおじさんおばさん達が酒を飲んで御馳走を食べており、
「おお坊主!いくつや?」
「酒飲むか?寿司あるぞ!食えよ!」
「おい!とにかく座って食え食え!」
と話しかけてきた。
僕は今でもこの時の状況をはっきり覚えており、
僕が思った事はただ一つ。
「なんで死んでる人の横でご飯食べなきゃいけないの?」
である。
ひいお爺ちゃんが死んで眠っている部屋と、どんちゃん騒ぎしている隣の部屋。
この2部屋の温度差が凄すぎて(体温的にも)僕は呆気に取られていた。
「おい坊主!ここ座って寿司食え!」
「なんで死んでる人の横で寿司・・・」
「おい!若いからチキンのがええやろ?」
「なんで死んでる人の横でチキン・・・」
「とれたてのタイがあるぞ!食べろよ!」
「なんで死んでる人の横でタイ・・・」
全く食指も動かなかったが、
郷に入っては郷に従えでとりあえず空いてる座布団の上に座り、寿司に手をつけた。
「全然おいしくない」
実際、味は美味しかったのかも知れないが、僕はどうしてもひいお爺ちゃんが気になってしまい全く食欲が沸かなかった。
聞こえてくる話によると、ひいお爺ちゃんは92歳まで生きて大往生だったらしく、盛大に送る為にどんちゃん騒ぎしてるとかなんとか。
それでも僕はどうしてもその状況に馴染めず、家の外に出て座り込んで、家から漏れてくる話し声をぼんやりと聞いていた。
外でたくさん蚊に刺され、もう限界だと思い家の中に戻った。
部屋に戻ると相変わらずどんちゃん騒ぎは続いていたが、
隣の部屋では、ひいお婆ちゃんがひいお爺ちゃんの身体をタオルで拭いていた。
どうやら、棺桶の中に遺体を入れる為に最後に身体を拭いて綺麗にしているらしい。
お婆ちゃんとお母さんも手伝っていた。
「死んだら体は冷たくなる」
というのは知っていたが、
「実際どれぐらい冷たくなるんだろ?」
と、素朴な疑問は持っていた。
当然僕は怖くて触ることなんて全くできなかったのだが。
清拭がある程度進んだ頃、ある出来事が起こった。
上半身の清拭が終わって下半身に差し掛かろうとした時に、
急に5〜6人の婆さん達が集まってきて、
一斉にひいお爺ちゃんの股間に群がった。
のだ。
ある婆さんはうちの婆ちゃんが持っていたタオルをぶん取り、ある婆さんはうちの母を押しのけ、
5〜6人の婆さん軍団は、ひい爺ちゃんの股間周辺をくまなく拭き始めたのである。
僕は小学1年生だったのでよくわからなかったが、
母と婆ちゃんが顔を見合わせて呆れた微笑を浮かべているのを見て理解した。
「あー、チンチン見たいのか」
そう。
婆さん軍団は、ひい爺ちゃんの最後のチンチンを見たかったのである。
よくわからんが最後のチンチンというものは、とても尊いものなのであろう。
「ラストチン」
なんだそれは。
翌日、火葬場に行き最後のお別れとなった。
大勢の人が昨日のお祭り状態とはまたうって変わって悲しそうにしている。
あんなにはしゃいでいたおじさん達も皆一同にシュンとしている。
騒いだり悲しんだり、なんて忙しい人達なんだろうと思った。
それかただの二日酔いだったのかもしれない。
「人の身体を燃やす」
その行為に異常なまでに恐怖を覚えた。
火葬が始まると、なんとも言えない匂いが周辺を漂ってきた。
「これが人が燃える匂いなのかな?」
と思ったが、不思議とそこまで嫌な匂いだとは感じなかった。
火葬が済んだ合図が有り、またさっきの見送った場所に戻ると、
焼き上がった骨が姿を表していた。
僕は「絵に描いたようなガイコツ」を想像していたのだが、
「思ったよりボロっとしてるんだな」と思った。
遺骨を挟んで両側に並び、
お互いに持っている長い竹箸で同時に遺骨を摘んではツボの中に入れていく。
僕は順番が近づくにつれ、「誰とパートナーになるのか?」という事が気になって仕方がなかった。
それはまるで、
「学校の席替えで自分の隣の席に誰が来るのか?」
といったほどに重要な気がした。
自分の遺骨パートナーが誰になるのか?
ドキドキしながらこっちと向こうの順番を確認していく。
なんだ遺骨パートナーって。
結論を言うと僕の遺骨パートナーは、
昨日やたらとお寿司を食べろと言ってきた知らないおじさん
だった。
愕然としたが、そうなってしまったものはしょうがない。
「すいません、パートナー変えてください」
なんて言えるはずもないのだ。
その知らないおじさんと協力して遺骨を摘んで骨壺に入れた。
今思うと、なんか結婚式のケーキ入刀のような
初めての共同作業的行為みたいでおかしくなるが、
その時は真剣だった。
失敗は許されない。
このおじさんと共に生きるしかない。
そう思い、必死にやり終えた。
その後、お寺で葬式を終え、墓地まで行列で歩きながらお金をばらまいたりよくわからない行事をこなしたが、
なんか人が亡くなってから葬式までの流れを書いてる自分が気持ち悪くなってきたのでこの辺で切り上げます。
ではまた!